【横浜市保土ヶ谷区天王町の治療院】脳疲労(脳過労)・自律神経失調症・頭痛・肩こり・腰痛・めまい・気象病(天気痛)・認知症予防・CRPS(RSD)に認知科学統合アプローチ

我が心の師・ガウディから学ぶ ―― ガウディ展に行ってきました!

  
\ この記事を共有 /
我が心の師・ガウディから学ぶ ―― ガウディ展に行ってきました!

こんにちは!
先日、天王洲アイルで開かれているガウディ展に行ってきました!

本展は、ガウディ没後100年、そしてサグラダ・ファミリアのメインタワー「イエスの塔」完成を記念し、公式展覧会として東京を皮切りに開催されます。

自然の法則を学び、そこに潜む美と秩序を形にした建築家アントニ・ガウディ。
彼の思想と革新性を、現代の視点から見つめ直し、今を生きる私たちがガウディのまなざしに触れ、自然とともに生きる智慧を感じながら、未来への歩みを見つめ直すきっかけとなる展覧会です。

ガウディの直筆の手記や手紙、ガウディが実際に使用していた制作道具をはじめ、未公開の資料や模型、スケッチなど、とても貴重なコレクションが様々展示してありました。
なかでも建築学科の卒論で書いたという設計図は、素人目に見ても凄かったです!
きっと建築士の方や建築学科の学生さん達であれば、もっとその凄さを肌で感じられているのだろうなぁ...とちょっと羨ましく思いました。

ガウディについては今さら説明不要だと思いますが、あまり詳しくない方のために簡単におさらいしていきましょう。

アントニ・ガウディ(1852–1926)は、スペイン・カタルーニャ出身の建築家。
レウスに生まれ、バルセロナ建築学校で学び、1878年に独立した建築家となった。
実業家であり友人でもあったグエル伯爵との協働を通じて、ガウディはカタルーニャのブルジョワ層や貴族たちにとって最も愛される建築家となり、彼らのために《グエル公園》《カサ・バトリョ》《カサ・ミラ》などの代表作を手がけた。

最も重要な作品はサグラダ・ファミリアであり、後半生をこの大聖堂の設計と建設に捧げた。
1926年、バルセロナで交通事故により逝去。彼の作品は現在ユネスコ世界遺産に登録され、都市建築や近代美術に深い影響を与え続けている。

ガウディといえば、やはり一番有名なのはサグラダ・ファミリア。
今回もサグラダ・ファミリアについての展示はもちろんありましたが、しかしそれだけでなくガウディ自身にフォーカスされていることもあり思想や創造の源泉に触れることができ、とても学びの多い時間となりました。

創造とは、何か新しいものを生み出すことではなく、本質的で、時代を超越して生き続けるものへの回帰 ―― 。

ガウディにとっての「原点」は、生命にかたちを与える自然の法則と調和の再発見。
彼は建築を通して、「物質と精神」「自然と人間」の対話を表現しようとしました。

「私は銅細工師の息子であり、孫であり、曾孫でもある。
だからこそ私には【空間を見る力】があるのだ」

ガウディの建築は、静寂の中から始まりました。
それはスケッチを描くよりも前に、彼が幼少期に見つめた【空間】の中にあります。

幼いころのガウディは、父親が平らな金属を流れるような形へと打ち出す様子をじっと見つめていたそうです。
またガウディは繊細な体質であったので、しばしばじっと動かずに光や空間、そして細部を観察することが多かったそうです。
祖父の編む網や母親の台所、そしてリウドム山地やプラデス山脈の荒々しい姿...。

「鉢植えに囲まれ、周りにはぶどう畑とオリーブ畑が広がり、
鶏の鳴き声、鳥や虫のさえずりが響き、背景にはプラデスの山々がそびえていた。
そのような場所で、私は常に私の師である、自然のもっとも純粋で心地よい姿を心に刻んだ。」

自宅でもリウドムスの丘でも、こうした静かなひとときが、のちにガウディの建築を決定づけるまなざしを育てました。
こうした工芸と幾何学への幼少期からの触れ合いが、ガウディの世界観を形作りました。

これらの記憶が、構造とは発明するものではなく、「樹の曲線や枝の重み」「葉を透過する光の屈折」の中にすでに現れているということを、彼に教えました。
森はガウディの師となり、記憶は彼の最初の設計図となったのです。



何かを創造しようと思うと、まったく新しいものをゼロから作らなければならないと思いがちですが、そうではないとガウディは説いています。

たしかに、自分の中にないものからは何も生み出せません。
だからこそ日々いろいろなものにアンテナを張り巡らせ、アンテナに引っかかったものを素直に自分の中に取り入れ自らの骨肉にする。
その積み重ねによって蓄積された中から、素晴らしいアイデアの数々が生まれるのです。

しかし自分の思想や価値観、先入観などに囚われていると、何か新しいものにせっかく出会えてもスルーしたり拒絶してしまう人が結構います。
それでは人生を損してしまう...もったいないですよね。

そうならないように、まずはいったん素直に受け入れ、そのうえで自分の中に取り入れるかどうか取捨選択する。
そのときは必要なくても引き出しとして自分の中に残り、必要なときにきっと力になってくれるはずです。

ガウディは重力や張力、バランスといった目に見えない自然の力を観察し、それらを構造へと変換させていました。
ロープや鎖、重り、粘土、光...。
ガウディにとって伝統ではなく自然こそが真の建築家であり、発明ではなく発見することを使命としていました。

「私のアイデアは、疑う余地のない論理に基づいています。
もし確信が持てないなら、それはこれまで使われていなかったからです。」

ガウディは、建築は木、骨、貝殻、波を形作るのと同じ論理から生まれるべきだと信じていました。
そして、ガウディは建築を描く際に鉛筆ではなく重力を用いました。
紙の上で構造を計算できない場合は鎖や重りを吊るし、重力を逆転させ、自然に答えを求めました。

天井から紐を垂らし、その先端に小さな重りをつけると、美しい曲線が自然に浮かび上がります。
ガウディは直感や装飾ではなく、物理法則から生まれる自然的な美を信じていました。

そこでガウディは最も複雑な建築を設計するために、ポリフニキュラー模型を開発しました。
これは平面図が記された木製の枠から吊るされたロープと重りの3次元システムです。
柱や壁を表す点に鉛の散弾袋を吊るすことで、重力によって自然に完璧な耐荷重曲線が生み出されます。
これらの吊り下げられた線は、アーチと支柱の理想的な配置を明らかにしました。

ポリフニキュラー模型は、ガウディの思想を最も純粋な形で体現しています。
「自然によって設計された建築」の起源です。

ガウディは写真の上に直接線を描き、驚くほど鮮明にデザインを洗練させていきました。

バランスが取れたら、その模型を撮影し写真を反転させます。
かつて自由に吊り下げられていたものが今や垂直に立ち、最終的な建物の有機的でありながら精緻な設計図となりました。

「しなやかな線が垂れ下がるように、反転させれば硬いアーチとなる」

ガウディは冷たく硬直した形を拒み、自然の論理に耳を傾けました。
ガウディの設計手法は、すでに知られているものを利用するのではなく、これまで行われていないことを探求することでした。

ガウディのプロセスはゆっくり、かつ綿密で、そして独創的でした。
太陽光の角度や風の向き、葉の曲線までも研究しました。
何一つ恣意的なものはありません。
すべての革新はきまぐれではなく、観察から生まれたものでした。

ガウディはたゆまぬ問題解決者、厳密な物理的実験の結果として建築物を創り出した研究者だったのです。



私は今回ガウディの研究者としての姿勢や信条に触れ、改めて学ばせていただきました。

まず、頭の中だけで完結させるのではなく、どうなるのか試し実際に起こった現象を基に進めること。
どうでしょう?
何か物事を進める際に、先入観や自分の考え、または他の人もみんなやっているから...といった理由で行い上手くいかなかった、失敗した~なんて経験をしたことはありませんか?

はっきり言って、私たち医療者やセラピストには非常に多いです。
とくにハードペインの世界だけで生きている人に。

「〇〇〇治療法」など名前のついた治療法や施術は数え切れないほど存在し、次々と新しいものが生み出されています。
骨格や骨盤などの歪みを矯正するもの、筋膜リリース、肩甲骨はがし、AKA、はたまたマッサージ、足つぼ、ストレッチなどなど...。
それぞれに確たる理論が存在し、確たる方法論が存在し、体系的に分かりやすく説明されています。

しかし、おかしいと思いませんか?
確たる理論で確たる方法論があるんだったら、必ずその治療で治るはず...しかし、現実はそうはならない。
もちろん治った方はそれで良いのですが、治らず様々な治療を試して回る「治療難民」が数多くいることもまた事実です。

そうなった時に、医療者・セラピストの方々はそういった事実をどのように受け止めているのでしょうか?
答えは簡単、「見て見ぬふりをする」一択です。残念ながら。

彼らからすれば、
「自分がやっている治療に間違いはない!この理論に間違いなんてあるはずがない!だから治らないなんておかしい!あの患者が特殊なだけなんだ!」
と自分が行っている治療を信じて疑いません。または教わった師匠を信じて疑いません。

そうやって現実から目を背け、自分にとって都合のいい事実にしか目を向けずに生きていければ、なんて幸せなことでしょうか。
しかも理論も方法論も分かりやすく、「やってもらった感」を感じられ満足感を得られやすい治療が多いため、ビジネスとしても成功しやすいでしょう。

残念ながら、私にはそういう生き方はできませんでした。
今も、これからも...。
なぜなら、「事実」を知ってしまったから。

私にも元々は自分の信じる絶対的な施術がありました。
技術を極めることに人生を注ぎ、数多くの患者さんを救い、時には涙を流しながら感謝されることもありました。
しかし、あるとき私は知ってしまいました。
技術レベルが上がれば上がるほど「技術のみでは治せない患者さんがいる」ことを...。

私は悩みました。私も数多くいるその他大勢のセラピストたちと同じように「見て見ぬふり」をしてこのまま施術を続けていくこともできました。
おそらくその方が生活的には安定し、経済的なストレスはなかったでしょう。

しかし、私にはその道を選ぶことはできませんでした。
私は「治すことができた」喜びや安堵よりも、「どうして治せなかったのか」「治らなかったのか」そこに隠れている真実を追い求めたいという難儀な性格だからです(笑)。
たとえそれがどんな茨の道であっても...。

そこで私は、それまで信じて培ってきた理論と技術をすべて捨て、一から勉強し直しました。
そうして辿り着いたのが「脳科学」であり「認知科学」であり、生まれたものが「認知科学統合アプローチ」です。

「認知科学統合アプローチ」は今も進化し続けています。
それは認知科学の研究がどんどん進み次々と新しい知見が出てくるため、その都度アップデートしているからです。
ここが数多くあるその他治療法との一番大きな違いです。
一度作った理論やマニュアルを遵守し必ず同じことをするものと、あえてマニュアルを作らず患者さん一人一人に合わせて臨機応変に対応するもの、どちらが良いと思いますか?

そんなこんなで結果、整骨院時代も今も残念ながら患者さんにはあまり来てもらえず、夜勤仕事を掛け持ちですが(笑)、後悔はありません。
妻にもとても苦労を掛けていますが、今も昔も応援してくれているので、感謝しかありません。

私はこれからも苦難の道を歩み続けるでしょう。
しかし、私は痛み治療の専門家たるセラピストであると同時に、「痛みの真実」を追い求める臨床研究者になると決めたときから、覚悟はできています。
そのためにも、研究者としてのガウディを指針としてこれからもブレずに頑張っていこうと改めて心に誓いました。

今回はガウディ展で私が学んだことについて書かせていただきました。

  • 独創性とは、原点に戻ることから生まれる。
  • 自然に耳を傾ける
  • 自分の理論や思想は置いておき、実際に起こる事実を基にする
  • 恣意的に結果を歪めない

もっと展示されていた模型なども写真に撮っておけば良かったと後悔...。
ガウディ展に行った方は、何を感じたでしょうか?
まだの方は、ぜひ会場に足を運んでみてください。
きっと有意義な時間になると思います。

コメント

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です