【横浜市保土ヶ谷区天王町の治療院】脳疲労(脳過労)・自律神経失調症・頭痛・肩こり・腰痛・めまい・気象病(天気痛)・認知症予防・CRPS(RSD)に認知科学統合アプローチ

院長プロフィール

 

柔道整復師 / 認知科学統合療法士(CIT)

はじめまして、ブレインキュア治療院院長の石関祐輔です!
「私のことをちょっとでも知りたい!」と思っていただけた方は、このページを読み進めていただけたら嬉しいです(^^)

▢平成18(2006)年 4月  新宿整形外科内科
▢平成18(2006)年 5月  天沼整形外科内科
▢平成18(2006)年 8月  清水整形外科クリニック
▢平成26(2014)年 4月  あおぞら整骨院 院長
▢令和 6(2024)年12月  ブレインキュア治療院 開院

 私は小学校から高校まで野球部に入っていました。
埼玉県の公立の弱小校でしたが、真面目に約8年間やった結果…振るわず。
足と肩には自信があったのですが(50m8秒08、遠投90m)、とにかくバッティングが悪かったため、出場機会は専ら守備固めや代走でした。                               

 また中学最後の大会を右足首の捻挫で出られなかったり肉ばなれや腰痛、股関節痛で満足に練習ができない時期があったりとケガや身体の痛みに悩まされることが多い野球人生でした。

 そういった経験もあり、進路を考えた時に「自分と同じようにケガや身体の痛みで悩んでいる人の助けになれるような仕事に就きたい。
できればスポーツにも関わっていきたいなぁ~」と考え、高校卒業後は専門学校に入学し、国家資格を取得。地元の整形外科に就職しました。

 大宮の整形外科で働き始めた私は、そこで数々の疑問を抱くことになります。
「どうしてこんなに腫れているのに、痛くないんだろう?(腫れていない方の膝は痛がるのに…)」
「痛みは取れたけど、マッサージと電気で(医者が原因と診断した)骨の変形が治るのかなぁ?」
「肩こりがつらいって言うけど柔らかかったり、逆に硬いのに肩こってないのは何でだろう?」

 こうした疑問を先輩たちにぶつけたところ、明確な答えはもらえませんでしたが「こういう疑問を一つ一つ持ち続けることが大事。
それが真実に近づく道だ」と教えてもらい、痛みの専門家としてのルーツになりました。

 そんな矢先の出来事でした。なんと…勤めていた整形外科がなくなってしまったのです!
詳細は長くなるので省きますが、内科医だった院長が実は医師免許を持っていなかったことが発覚。
保健所から営業停止命令を受け、あえなく私は社会人生活3カ月半で失業となったのでした…。

 気持ちを切り替え、新たな勤め先を求めいくつかの整形外科を見て回りましたが、いまいちピンときません。
そんなある日のことです。大宮の整形外科でお世話になった先輩の先生に声を掛けてもらいました。 「紹介したい人がいるんだけど、会ってみない?」                                 

 実は面接に行った先の一つが、たまたま先輩が信頼を置いている学生~修業時代に苦楽を共にした後輩の先生が以前勤めていた所だったそうで、その先生の耳に入ったことがきっかけでした。                                                      

 奇しくも、その後輩の先生が勤めている北浦和の整形外科が8月にリニューアルオープンを控え、柔整師を1人探しているとのこと。

 そういった偶然がいくつも重なり、さらにありがたいことに先輩も私を推薦してくださった結果、二つ返事で就職先を決めたのでした。

 北浦和の整形外科に勤め始めた私はある日の午前診療後、先輩たちに連れられ大宮に行きました。
そこで私は運命的な出会いを果たします。

それは三上敦士先生…大宮アプローチ治療院院長(現・三上クリニカルラボ院長)との出会いです。

 三上先生は痛み治療の専門家であり、「痛みとは何か」を追求する臨床研究家です。
当時は「関節運動学的アプローチ」という痛み治療に特化した施術を行っており、また「関節運動学研究会」を主宰。
北浦和の先輩たちは三上先生から教わっており、大宮時代の先輩たちもみな会員でした。

 実は私は専門学校時代、臨床研修として三上先生に関節運動学的アプローチをほんの少しだけですが教わっており、「こんな凄い治療があるんだ!私も将来やりたいなぁ~」と思っていました。
ちなみにこの時の臨床研修は他にも手術見学などもあり圧倒的にそれらが人気だったのですが、私は真っ先に三上先生から教われる機会を逃すまいと手を挙げました。                  

というのも遡ることさらに1~2年前。
三上先生による「EBM(根拠のある医療)」についての基調講演を聴いた私は、「なんて凄い先生なんだ!」と衝撃を受けたことを覚えていたからです。                        

 三上先生は私が今まで抱いていた数々の疑問…「骨の変形やゆがみ、筋肉の硬さなど身体の変化と痛みは関係がないんだろうか?」にとても丁寧に答えてくれ、「痛みとは何か?」その真実を追求し「間違いだらけの今の日本の医療を変えていきたい」という熱い想いを聴かせてくれました。         

 こうして運命を感じた私は導かれるままに、また三上先生の人柄に惹かれ、迷うことなく研究会の門を叩き、三上先生や先輩たちに付いていくことを決めたのでした。

 それからの私は「痛みとは何か」を追求する日々が始まりました。
診療の中では目の前の患者さん一人ひとりと向き合い、施術技術を高めるとともに「痛みとは何か」を考えつづけました。
また研究会には毎回必ず出席し、三上先生から教わるとともに先輩方と意見交換をしたりと自己研鑽に努め、さらに三上先生の治療院を定期的に訪れ見学し、技術だけでなく検査やカウンセリングなど直に学べるものはすべて学ぼうと努めました。

 しかし現実はそう甘くはありません。
真摯に患者さんと向き合えば向き合うほど「痛みって何なんだろう?」と疑問は増えていくばかり。
もちろんたくさんの患者さんを治し感謝していただけることも多かったのですが、元々職人気質だった私は技術的な手応えと患者さんの反応の間にズレが生じることも多々あり、どうしても自分の中で納得がいかず悩むことが多かったのです。                             

 ちなみにこの当時行っていた「関節運動学的アプローチ」という施術がどういうものか簡単に言うと、仙腸関節を中心に全身の関節にある「関節の遊び」を回復させることで痛みを取る、というものです。
「関節の遊び」があることで身体を滑らかに動かすことができ、衝撃を和らげるクッションの役割りも果たすことでケガを防止することができる。
そのため「関節の遊び」が減ってしまい、動きが固くなってしまうことが身体の様々な痛みの原因となるため、「関節の遊び」を回復させることで痛みを取る、というのが「関節運動学的アプローチ」の理論でした。

 実はこの「関節の遊び」ですが、わずか1~2mmくらいしかありません。
しかも目で見て分かるような動きではなく、当然レントゲンなどの画像検査にも映りません。
ではどうするのかと言うと、わずか1~2mmというほんのわずかな動きを手で感じ、治療していきます。

想像しただけで難しいと思いませんか?そう、めちゃくちゃ難しいんです!(笑)
純度100%感覚の世界の技術ですし、感じ方は人によってそれぞれ違います。
そもそも感覚的な技術である以上、正解は開発した先生にしかわかりません。
まさしく暗中模索、といったところです。

「治ったんならいいじゃん」と気楽に考えられたらどんなに楽だろうかと何度も思いましたが、それでも一度「痛みの真実」に触れてしまった以上、後戻りはできないししたくありませんでした。

 技術が向上していきたくさんの患者さんに感謝していただける機会が増えていく一方で、技術的な手応えと結果(患者さんの反応・効果)との間のギャップがどんどん大きくなるのを感じていく中、私は「身体だけに原因を求めていくのには限界があるんじゃないか?」と次第に考えるようになっていきました。
そして「痛みとは何か?」という問いに初心に戻って原点回帰をした時に、「痛みを感じているのは脳だから、実は脳が関係しているのではないか」という考えに至ります。

 関節運動学研究会もBFI研究会と名前を変え、完全に脳科学へとシフトチェンジします。
このタイミングで多くの会員が去っていきましたが、私は「痛みというものを真に理解し、追求するためには脳の勉強が必要だ」と確信していたので、三上先生に付いていくという考えは変わりませんでした。

 しかし「今の環境ではBFIを実践することは難しい」と考え約8年間お世話になった整形外科を退職、横浜の神奈川新町にて整骨院をスタートさせました。
整骨院では約10年間、院長としてBFIはもちろん、通常の保険診療や院内環境においても脳科学を取り入れ、カウンセリングや日常生活のアドバイスにも力を入れていきました。

 そしてBFI研究会は認知科学統合アプローチ(COSIA)学会へと名前を変え、認知科学と医療の統合を追求する学会へとさらに進化を遂げ、今に至ります。

 しかし、看板が整骨院と言うことで、やはり保険診療が中心となってしまう現状にだんだんと強いストレスを感じるとともに、コロナウイルスの影響などで経営の行き詰まりに悩んでいた私は、一度閉めることに。
「保険診療ではいろいろな制約があって自分の理想を体現することがどうしても難しい。
やっぱり本当に悩んでいる患者さんのためには妥協せず120%理想の環境を創りたい!」そう思い自由診療のみの治療院(整体院)を新しく開くことにしました。

 しかし一度お店を閉めて、また新たに開くというのは大変なことです。
経営者や個人事業でオフィスやお店を持っている方はもちろん、一度でも転職や引っ越しをしたことのある方であればその苦労を分かっていただけるのではないでしょうか?

 万全の状態で再スタートを切るためにも、心身を一度リセットさせる必要があると考えた私でしたが、いくらリフレッシュ期間と言えども、さすがにまったく仕事をしないわけにはいきません。
そんな余裕はありませんし、私の考えを理解し応援してくれる妻を思うと迷惑はかけられません…。               

 ということで、しばらくは派遣社員として某クロネコの宅急便や某A社、お値段以上ニ〇リの物流倉庫などで夜勤の仕事をしながら、新規オープンの準備を少しずつしていきました。
(始めてみたら思いのほか楽しくハマってしまい、どっちが本業か分からないくらい働いてしまいましたが…笑)
そして、2024年12月23日に「認知科学と医療の統合ヒーリングサロン ブレインキュア治療院」を開院し、今に至ります。

 だいぶ長くなってしまいましたが、私のことを少しでも知っていただけたら嬉しいです!

・「医学に挑む~健康に導く哲学の医療~」という演題にて、第6回国護り演説大会出場(2014.2.11株式会社キャリアコンサルティング主催)

・月刊カレント10月号「20代の視点」掲載(2014.10.1潮流社)

・「手技の達人」掲載(2017.8.28ぎょうけい新聞社)

・「世界の非常識医療をやめよ。タッチケアが導く健康長寿大国・日本」という演題にて、第35回土光杯全日本青年弁論大会フジテレビ杯受賞(2019.1.12フジサンケイグループ主催)

☆1984(昭和59)年12月6日生。地声が高く、特にテンションが上がると裏返ってしまうのがコンプレックスで、諏訪部順一や大塚明夫、中田譲治のような低音イケボボイスに憧れています(笑)。

★埼玉県川越出身。専門学校は八王子にあるドラマや映画の撮影でもちょくちょく使われる超がつくほどのマンモス校で、八高線という単線のローカル線で通っていました。

☆高校卒業後は友人たちと草野球チームを作り、休日は野球・ソフトボールざんまい。日によっては朝5時からトリプルヘッダーをしたことも(笑)。
また母親と一緒にインディアカをプレー。野球仕込みの地肩の強さを活かした強烈なスパイクを武器にしていました(自分で言っちゃうw)。

★大人になってから着物に目覚め、初詣や結婚式に着物を着て行ったり夏は浴衣で優雅な大人の遊びも。茶道もちょこっとだけ習っていたので、いつかみなさんにも振舞えたらなぁ~と思っています!

☆2019(平成31)年4月10日にアニメが共通の趣味だった妻と結婚。翌年3月10日に東京大神宮にて結婚式を挙げました。実は妻と一緒に参加していたグループでのお伊勢参り旅行がきっかけで、告白もプロポーズもその旅行中でした!

☆お笑いが好きで賞レース(M-1、R-1、キングオブコント、THE W、THE SECOND)は欠かさずにチェック!好き過ぎて自分でもたまに漫才をやってます(笑)。

★自他共に認める生粋のアニメオタクで、人生で大切なことはすべてアニメで教わったと言っても…過言でした(笑)。 幅広いジャンルを観ていますが京アニやP.A.WORKS、KEY作品などは間違いないです!

☆乃木坂46、櫻坂46、日向坂46、7/22、FRUITS ZIPPERなどアイドルでも推し活中です!彼女たちのバラエティ番組で毎週癒されています(^^)